大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 平成3年(行ク)9号 決定

申立人

小林太郎

右法定代理人親権者父

小林哲男

同母

小林みさ子

申立人

米村春男

右法定代理人親権者母

米村京子

申立人

石和夏男

右法定代理人親権者母

石和和子

申立人

岡本秋男

右法定代理人親権者父

岡本隆志

同母

岡本玲子

申立人

留岡冬男

右法定代理人親権者父

留岡勝

同母

留岡和歌子

右申立人ら訴訟代理人弁護士

吉川正昭

坂本文正

相手方

神戸市立工業高等専門学校校長村尾正信

右訴訟代理人弁護士

俵正市

重宗次郎

苅野年彦

草野功一

坂口行洋

寺内則雄

小川洋一

主文

本件各申立てを却下する。

申立費用は申立人らの負担とする。

理由

一申立人らの本件各申立ての趣旨及び理由は、別紙申立の趣旨及び申立の理由記載のとおりである。

二本件記録によれば、申立人らは、平成二年四月一〇日に神戸市立工業高等専門学校(以下「神戸高専」という。)に入学した者であり、相手方は同校校長であるが、相手方は、平成三年三月二五日、申立人らを神戸高専の第一学年に留置する旨の措置(申立らは、これを進級拒否処分としている。以下「本件処分」という。)をしたので、申立人らが本件処分が違法であるとして、その取消しを求める本案訴訟(当庁平成三年(行ウ)第一三号事件)を提起していることが認められる。

三相手方は、同学年に留置するかどうか及びその前提となる単位を認定するかどうかは、一般市民法秩序と直接関係のない教育上の措置であり、かつ、高度の教育的、専門的評価に関する措置であって、司法審査の対象とはならず、本案訴訟は不適法であると主張する。

しかし、本件処分は、申立人らを神戸高専の第一学年に留め置くもので、それ自体は学校の内部処分であっても、それにより、申立人らは、第二学年において学習することができなくなるのみならず、その卒業年次が一年遅れることになって、就職などにも影響が及び、また、申立人らの親権者らは一年間分の余計な教育費の支出をしなければならなくなるなどの不利益を受けるのであり、このような不利益は、単に学校内部の問題にとどまるものではないから、一般市民法秩序と直接の関係を有するものであるといわなければならない。

また、その処分の前提となる単位の認定をするかどうかの点についても、後記のとおり、一科目でも単位不認定のあることが、そのまま本件処分に直接結びつくものである以上同様である。

したがって、本件処分は、一般市民法秩序と関係のない教育上の措置として自律的に処理すべき事項とはいえず、司法審査の対象とならないという相手方の右主張は採用できない。

四そこで、本案について理由がないとみえるかどうかについて検討するに、疎明資料によれば、次の各事実が一応認められる。

1  神戸市立工業高等専門学校学則及び同校の学業成績評価及び進級並びに卒業の認定に関する規程によれば、同校では、科目担当教員が、学習成績(学習態度及び出席状況等の総合評価)と試験成績とを総合して学業成績を評価したうえ、進級認定会議の審議を経て校長が進級の認定をするが、進級の認定を受けることができるのは、当該学年において習得すべき科目の全科目について不認定のない者に限られている。学業成績が一〇〇点法評価で五五点未満は不認定とされるが、不認定が一科目でもあるため進級を認定されない者は、原級留置となり、その学年の授業科目全部を再履修しなければならない。なお、不認定科目のある者のうち、学業成績の平均点が五五点以上であること、不認定科目が三科目以内であること等の要件を満たす者については、進級認定会議の審議を経て、学年末に再試験を受けることができる。

2  高等専門学校の授業科目及び単位数について、文部大臣は、高等専門学校設置基準を定めているほかは、高等学校における学習指導要領に相当するものは存在せず、その教育課程の標準を参考として示しているにすぎないが、その中で、右設置基準において授業科目とされている体育の種目として柔道、剣道等の格技を掲げている。

神戸高専では、体育は、全学年の必修科目とされているが、同校では、平成二年度から第一学年の体育の課程の種目の中に剣道を取り入れた。剣道は、同年度において、クラスにより、第一学年の前期または後期のいずれかに実施されたが、剣道には、いずれのクラスにおいても、各期のうち七〇点が配分され、したがって、その配点の割合は、第一学年の体育全体の三五パーセントを占めていた。

3  申立人らは、剣道を実技種目とする体育の、授業時間の頭初の準備運動には参加したが、その後の剣道の実技には、教員の説得にもかかわらず参加せず、自主的に見学するのみであった。

申立人らが剣道の実技に参加しなかったのは、申立人らの加入している宗教団体「エホバの証人」の教義に従い、格技はすべきでないと考えていることによるものであったが、体育の実技に参加しなかったことにより、申立人らは、剣道を含めた第一学年における体育につき、いずれも五五点未満と評価され、体育の単位が認定されなかった。

4  学校側では、申立人ら及びその保護者に対し、剣道の実技を受講するよう説得したが、申立人らは、これに応じようとしなかった。そこで、学校側は、進級認定会議を経て、体育不認定者を対象とする剣道の補習による再試験を実施したが、申立人らがこれを受験しなかったため、申立人らを前記規程に基づき、第一学年に留置する旨の決定をした。

五1  ところで、高専の教育課程において、ある科目につき単位を認定するかどうかは、担当者の極めて専門的かつ教育的な価値判断に属する行為であり、その見地から担当者に相当に広い裁量権が認められていると解されるが、その裁量権の行使に逸脱または濫用があると認められるときには、右単位の不認定が違法とされることもいうまでもない。本件では、右認定のとおり、申立人らは、その信仰する宗教の教義に従い、格技である剣道の実技に参加しなかったため、体育の単位を不認定とされ、原級に留置するとの措置を受けたものであるところ、本件の体育の単位不認定に関して、宗教上の信条に基づいて格技の実習に参加しなかった場合にも、特別の扱いをせずに通常の不参加と同様の扱いをすることをもって、裁量権の逸脱または濫用にあたるといえるかどうかが問題となる。

申立人らは、格技の実習に参加を強制されることにより、信教の自由が侵害された旨主張する。たしかに、憲法二〇条に規定されている信教の自由は、いうまでもなく基本的な人権として、内心にとどまる限りその保障は絶対的なものといわなければならない。しかしながら、本件のようにそれに基づいて法的義務や社会生活上の義務の履行を拒絶するなどそれが外形的行為となって社会生活と関連を有する場合は、宗教的に中立的な一般的法義務による必要最小限の制約を免れることができないこともまたいうまでもない。

2  そこで、剣道履修の義務を生徒に負わせることの当否について検討する。

(一)  まず、高等専門学校において、一般科目として体育を必修としたことは、前記認定のとおり、文部大臣の定める高等専門学校設置基準に基づくものであり、この点について、特に違法不当な点を窺うことはできない。

(二)  次に、必修科目である体育の授業の教育内容をいかにするかについて、教師に完全な自由を認めることができないのはいうまでもないが、他方、教育的な見地からの専門的価値判断の必要な行為でもあるから、一定の範囲内で教師側の裁量が認められることも否定できない。

前記認定のとおり、高等専門学校における一般科目については、文部大臣の定める設置基準の中に定めがあるが、各教科の内容については、単に参考とすることが相当であるとする教育課程の標準を示しているにすぎず、高等学校における学習指導要領に相当するものは存在しない。そして、右教育課程の標準においても、体育の種目につき列挙しているのみであり、そのいずれを採用するかは、各学校の自主的判断に委ねられている。

(三)  これに対し、疎明資料によれば、学校教育法四三条、同法施行規則に基づいて文部大臣が告示した現行の昭和五三年の高等学校学習指導要領(以下「現行要領」という。)においては、格技は、主として男子に、各学年で一つを選んで指導するものと規定し、現行の高等学校学習指導要領の特例により、それによってもよいとされる平成元年の高等学校学習指導要領(以下「新要領」という。)には、種目の選択の際には武道かダンスのどちらかを含むようにすることが規定され、また、現行要領と新要領の双方に格技(武道)の種目のひとつとして剣道が規程されていることが一応認められる。

(四)  このように、高等専門学校と高等学校との間において、履修すべき教育課程の内容等につき文部大臣の指針に差が見受けられるのは、普通教育を行う高等学校に対し、設置された歴史も新しく、かつ、科学技術の絶えまない進展を常に取り入れていかなければならない高等専門学校の教育課程については、具体的かつ詳細な指導要領を不変のものとして定めるよりも、その大綱を示し、その中で各学校毎に時代に即応した適切な指導を行うことができるようにし、もって、高等専門学校教育の充実を図ろうとしたものであると考えられる。このように、文部省の指針に差が見受けられるとしても、体育等の一般科目については、高等学校と高等専門学校との間で、後期中等教育における普通教育を行うという点では共通のものと考えられるから、その内容面において、高等学校の学習指導要領に定められているところを、高等専門学校において参考とすることも決して誤りではない。

(五)  前記のとおり、高等学校においても格技(武道)を選択することができると定められているうえ、剣道は、健全なスポーツとして、大多数の一般国民の広い支持を得ているのは公知の事実であるから、その剣道を、文部大臣から示された教育課程の標準を参考にして必修種目とした神戸高専の措置には、何ら裁量権の逸脱を認めることはできない。

なお、申立人らは、現行要領では格技は必修となっていたが、新要領では必修科目でない取扱いができるようになったので、この改正には十分留意すべきと主張するが、これは、武道の扱い方に対する文部省の見解の変化というよりも、むしろ、現行要領の男子は格技で女子はダンスという規程の仕方に問題があったため、新要領で武道かダンスのどちらかを含むようにというように規程の仕方を変えることに重点があったと解されるので、この違いを武道の取扱いに際して過度に強調すべきではないと思われる。

(六)  また、宗教団体「エホバの証人」を嫌悪して特に剣道を必修としたような特段の事情も認められない本件では、裁量権の濫用があったということはできず、このことは、前年度まで剣道が必修となっていなかったとしても同様である。

3(一)  前記認定事実及び疎明資料によれば、申立人らは、その所属する「エホバの証人」という宗教団体の教義に従い、格技をスポーツとして許容することはできず、たとえ学校の体育の種目としてでも参加すべきでないと考え、剣道の授業の際に準備体操にだけ参加し、その後は武道場の隅で自主的に見学していたところ、前述のように、第一学年の体育の単位の不認定を受けたことが一応認められる。

(二)  以上のことから、当該履修義務自体は信教の自由を制約するためのものではないが、申立人らは、自己の信教上の信条を貫くには、剣道の実習に参加することができないという立場に置かれ、剣道実習への参加の強制は、実質的には格技を禁ずる教義に反する行動を事実上強制したと同様の結果を発生させ、そのため、申立人らの信教の自由が制約されたことは否定できない。

また、申立人らは、実習にこそ参加していないが、準備体操までは一緒に行い、その後も、自主的にではあるが授業を見学していたのであるが、その態度について剣道不参加と判断され、体育の単位が不認定となり、進級さえもできないという重大な結果が発生しているといえる。

しかしながら、必修科目である体育の種目として剣道を採用したこと、その評価の割合等について、学校側に裁量権の逸脱または濫用を認めることはできないから、信教上の理由に基づくものとはいえ、学校側の指導に従わず、その履修をしなかった申立人らに対し、体育の単位を不認定としたことにつき、法的義務を怠ったことと、体育の単位を不認定にしたことに著しい不均衡があるということはできない。

(三)  逆に、申立人らが主張するように、剣道の実技に参加していないにもかかわらず、信教の自由を理由として、参加したのと同様の評価をし、または、申立人らが主張するように剣道がなかったものとして六五点を基準として評価したとすれば、信教を理由として有利な取扱いをすることになり、信教の自由の一内容としての、他の生徒の消極的な信教の自由と緊張関係を生じるだけでなく、公教育に要求されている宗教的中立性を損ない、ひいては、政教分離原則に反することにもなりかねない。教育基本法九条一項に定める宗教に対する寛容等も、あくまで、この宗教的中立性を前提とするものであり、宗教に教育上の理由に対して絶対優先する地位を認めるものでないことはいうまでもない。

(四)  また、信教上の理由で、必修科目について履修を免除することになると、学校側が、履修拒絶の理由が宗教に基づくものかどうか判断しなくてはならなくなるが、そうすると、必然的に、公教育機関である高等専門学校が宗教の内容に深く係わることになり、この点でも、公教育の宗教的中立性に抵触するおそれがある。

なお、申立人らは、宗教を個人の究極的関心事にかかわる心情及び体験と定義して、高等専門学校による宗教かどうかの判断を排除すべきであると主張するが、そうすると、宗教の定義よりも、より個人の内面に深く立ち入って、その心情が妥協を許さないものかどうかの判断を学校側にさせることになるから、このような見解は到底採用することはできない。

(五)  以上のとおりであって、一連の相手方の措置ないし行為は、申立人らの信教の自由をある程度制約したことは否定できないが、信教の自由全体、特に公教育の宗教的中立の要請から見ると、決して許容できない措置であったということまではいえない。

4(一)  次に、疎明資料によれば、申立人ら及びその父兄は、再三にわたり格技以外の代替種目の履修またはレポートの提出等の代替措置の実施を学校側に申し入れたが、学校側は剣道の補習以外は認めない方針を堅持し、申立人小林太郎がレポートを提出したが受領を拒絶されたことが一応認められる。

また、疎明資料の中には、他の高等学校または高等専門学校において、格技に参加しなかった者について、レポート、ランニング及びサーキットトレーニング等の代替措置を実施したものがあるとの報告書が存する。

(二)  しかしながら、そのような代替措置をとることも、前述のように、剣道に参加したのと同じように扱いまたは剣道がなかったかのように扱うのと同様に、信教の自由を理由とする有利な扱いであるから、これらの代替措置をとらなければならないなどということはできない。

5 以上のように、申立人らの受けた信教の自由に対する制約は、必要やむを得ないものであると認めることができるのであるから、相手方の体育の単位不認定の措置には、裁量権の逸脱を認めることはできない。

また、仮に、申立人らが主張するように、相手方が申立人らに対して、後期終了までに、次年度は剣道実習を拒否せず履修するという決意書を提出しなければ、原級留置もさせられないから自主退学するよう要求したというような事実があったとしても、前述のように相手方の本件処分が違法といえない以上、剣道の実習に参加しなければ、再び進級が認められず、神戸高専の内規により、結局、同一学年に二年を越えて在籍できないため、退学となってしまうのであるから、そのような意味のないことをするより、早期に退学してやりなおす方が申立人らのためにもよいのではないかという助言の趣旨であるとも解されるので、それだけで、相手方に裁量権の濫用があるということはできない。

6  申立人らは、教育を受ける権利、学習権の侵害を主張する。

憲法二六条は、子供の学習権を規定しており、教育はその権利の充足を図りうる立場にあるものの責務と解されるが、そのことから、教育内容を誰がどのように決定するかが当然に導き出される訳ではなく、国の定める大綱に従って教師が裁量的に決定すべきものであることは、前述したとおりである。そして、神戸高専においては、裁量権の逸脱及び濫用もなく、教育内容が適正に決定され、運用されているのであるから、そのために、不利益が生じたとしても、学習権が侵害されたということはできない。

7  そして、他に本件処分が違法であることを認めるに足りる疎明はないから、申立人らの本件各申立ては、行政事件訴訟法二五条三項後段の「本案につき理由がないとみえるとき」に該当するものというべきである。

六よって、その余の点につき判断するまでもなく、本件各申立ては理由がないからこれを却下することとし、申立費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九三条、八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官辻忠雄 裁判官吉野孝義 裁判官北川和郎)

別紙申立の趣旨

一、被申立人が、平成三年三月二五日に申立人らに対して行なった進級拒否処分の効力はこれを停上する。

申立の理由

一、当事者の地位

1、申立人らは、平成二年四月一〇日に神戸市立工業高等専門学校(以下単に「神戸高専」という。)に入学した者である。

申立人小林太郎並びに同留岡冬男は各々神戸高専電気工学科に、同米村春男は神戸高専応用化学科に、同岡本秋男は神戸高専機械工学科に、同石和夏男は神戸高専電子工学科にいずれも在籍している。

2、被申立人は神戸高専校長である。

二、処分

被申立人は、平成三年三月二五日、申立人らを神戸高専の第一学年に留置する旨の処分(請求の趣旨において進級拒否処分としたもの。以下単に「本件処分」という。)をした。

三、本件処分の違法性

1、本件処分の理由

(一) 神戸高専においては、進級の認定は進級認定会議の審議を経て校長が決定することになっており、その認定にあたっては、原則として左記基準に該当していなければならないとされている。

(1) 当該学年において、修得すべき科目に不認定のない者。

(2) 各科目について、年間欠課時数が年間授業総時数の三分の一をこえる科目のない者。

(3) 特別教育活動(学校行事を含む)の履修状況が良好な者。

(二) 神戸高専においては、学業成績は、一〇〇点法により評価し、五五点未満は不認定とされている。又、保健体育科目(以下単に体育という。)は、全学年において必修科目とされている。

(三) 被申立人が申立人らに送達した成績通知表によると、申立人らの第一学年における体育の成績は左記の通りである。いずれも不認定とされている。(尚他の科目はいずれも認定されている。)

申立人 岡本秋男 五〇点

同   小林太郎 四二点

同   留岡冬男 四六点

同   米村春男 五二点

同   石和夏男 四四点

2、本件処分の問題点

(一) 申立人らがいずれも体育について五五点未満の評価しか受けられなかったのは、次の様な理由によるものである。すなわち神戸高専においては、第一学年の体育授業の中に剣道実習が含まれているが、申立人らは後述するような信仰上の理由から、格闘技である剣道ができないと考え、準備運動に参加した後は、武道場でけんがくする一方、終始代替科目の履修方あるいはレポート提出方を願い出ていたが、全く聞き入れられず、欠席扱いとされた。しかも神戸高専では第一学年の体育の配点の三五パーセントに該当する部分が格闘技である剣道の実習にあてられているが、申立人らが剣道実習の参加を拒んだと判断され、剣道実習の評価を〇点とされたためである。

申立人らが前述のような対応をしたのは、左記信教上の理由に基づくものである。

(1) 申立人らは、いずれもキリスト教信者であって、エホバの証人と呼ばれる人達は、今日世界の二〇〇以上の国や地域に生活し、その数は四〇〇万人を超えている。

(2) 申立人らは信教上の理由から格技を行うことを拒否している。格技には、柔道、空手、剣道、ボクシング、レスリング等が含まれる。

申立人らは、聖書中の「できるなら、あなたがたに関するかぎりすべての人に対して平和を求めなさい」(ローマ一二:一八。ペテロ第一、三:一一)等の教えを基本に、神の王国による平和を希求しており、たとえ防御用といわれようとあらゆる格技が攻撃用に用いられることがあること更にいえば武力に頼ることが最善の策でないという境地から格技実習に参加することを確信を持って拒否している。聖書は自衛手段の全てを禁止している訳ではないが、自衛手段の行使よりは、事前に十分注意を払って危険な事態に遭遇しないように配慮することの方が適切であると申立人らは信じている。

格技実習を拒否することに確信を持つに至った適切な教えの一つは、「彼らはその剣をすきの刃に、その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向って剣を上げず、彼らはもはや戦いを学ばない」(イザヤ二:四)である。

(3) 剣道はスポーツであって格技ではないと、被申立人は主張するが、申立人らはこの点について、次の様に考えている。

すなわち、例えば剣道をスポーツと規定したとしても、剣道の技術が実際に人と争うときに用いられる可能性があり、現に用いられた例もある。又そうした技能に心得のある人は問題の解決法としてその技能に訴える場合のあることが見受けられる。要は、いかに規定しようと、いかにスポーツ化しようと、技能の本質は厳然としている訳であり、わけても重大であると思われるのは、かような剣道・スポーツ論によっても、申立人らにおいては、剣道実習を行うことに良心的な負担を感じている事実である。

剣道が格技かスポーツかという議論はなされてもいいと思われるが、果たしてかような議論の結論について、申立人らが拘束されるいわれ自体について、疑問が残るのである。

右のような拒否理由は正当なものか否か、が問題となる。

仮りに正当な理由と判断されると、剣道実習についての評価を〇点としたことにつき、疑問を生じ、更に本件処分の効力の有無が問題となる。

(二) 次に各科目の成績評価や進級認定は、各担当教諭(授)、学校長の裁量権の行使であって、司法権が及ばないのではないかという問題が残る。

3、信教の自由

(一) 憲法第二〇条第一項は、信教の自由を保障している。

高専の学生も又信教の自由を含む基本的人権を有するものであり、これら人権は教育の場においても尊重されなければならない。

信教の自由には、信仰告白の自由、宗教儀式の自由、宗教結社の自由、宣伝布教の自由等が含まれる。かかる内容を有する信教の自由を保障することは、公権力によってこれらの自由を制限されることなく、又それらを理由にいかなる不利益をも課してはならないことを意味している。

内心における信仰の自由に止まらず、信仰に基づいて、国法上義務付けられた行為その他の行為を行なうことを拒否した場合にも、その法義務が実質的にみて重大な公共的利益に仕えるものであったり、あるいはそれによって他人の人権を侵害する結果をもたらすものでないかぎり、これに対してなんらかの不利益を課すことは、信教の自由の侵害として許されない。

国家行為と信教的信条、信仰告白とが抵触、衝突する場合、当該国家行為の違憲審査基準として左記の要件が審査、検討されるべきである。

(イ) 国家行為の高度の必要性

信教の自由を侵害してでも強行されなければならないほどの必要性、それが実質的な公共的利益を実現するため必要不可欠なものかどうか。

(ロ) 代替性の有無

仮りに国家行為が高度の必要性に基づくものであっても、それが同じ目的を達成するために代替性のない唯一の手段か否か。

(ハ) 国家行為による侵害の性質及び程度、侵害される宗教上の利益の重要性の程度の比較衡量

(ニ) その他当該宗教的行為自体が国民の権利を侵害するものかどうか。

(二) 信教の自由における「宗教」とは、当該個人にとっての「究極的関心事」にかかわる心情・体験をいうと広く理解されるべきである。信教の自由とは、宗教か否かにつき、教義・戒律の内容を基準とする公権力の判断をもともと許さない趣旨である。そうでなければ、信教の自由は絵にかいた餅になる可能性がある。

多数者又は社会通念からみれば非宗教的なものであっても、当該個人にとって「究極的関心事」(つまり心情のうち妥協を許さない性質の心情・体験)であれば信教の自由の行使として保護の対象と推定されなければならない。このように「究極的」か否かは、客観的事実の中に求められるのではなく、まずは当該個人の体験の中に見出されなければならないことになる。

4、教育を受ける権利

原告ら学生は、憲法第二六条や教育基本法第三条に基づく教育を受ける権利を有する。それは学生側の学習権をも保障するものである(最高裁大法廷昭和五一年五月二一日判決 刑集三〇巻五号六一頁)。

個々の学生は基本的人権を有する一個の人格であるから、学習権の内容として、彼らに対し、信教の自由を含む精神的自由の人権を十分尊重した上、公正、平等な教育上の評価を行い、進級し、各学年の教育を受ける学習権が認められなければならない。

本件のように、自己の信条に反するため剣道の実技を行えない申立人ら学生に対し、代替科目の履修を一切認めず、欠課扱いし、体育科目を欠点と評価して原級に留置し、第二学年に進級させないことは、信教の自由の侵害に止まらず、信条による教育上の不当な差別を禁じ、教育の機会均等を謳った教育基本法第三条、憲法一四条に違反し、ひいて申立人らが神戸高専の二年生として教育を受ける権利、学習権を侵害するが故に違憲違法というべきである。

5、結論

(一) 本件処分には、瑕疵があり、その瑕疵は重大かつ明白である。

申立人らは、いずれも神戸高専における第一学年において履修を必要とする所定各教科・科目の単位をすべて修得し、それらにつき単位認定を得ているものというべきであるが、本件処分はこれを誤認した瑕疵がある。

(二) 前述の違憲審査基準を本件剣道実習について検討する。

(イ)、(ロ)とも消極に解される。

体育履修の目的は「各種の運動を合理的に実践し、運動技能を高めるとともに、それらの経験を通して、公正、協力、責任などの態度を育て、強健な心身の発達を促し、生涯を通じて継続的に運動を実践できる能力と態度を育てる」ことである。(後出の高等学校学習指導要領)

かような目的から、剣道実習強要の必然性ないし高度の必要性は導き出せない。

五年制である工業高等専門学校においては、文部省告示による学習指導要領は定められていないが、第三学年までは高等学校指導要領を参考に運営されている。平成元年三月一五日号外文部省告示第二六号の同要領によれば、武道は必修科目とはなっていない。同要領はその付則で平成六年四月一日施行とされているが、平成二年四月一日施行の平成元年一一月三〇日文部省告示第一六七号現行の高等学校学習指導要領の特例によれば、平成二年四月一日以降武道は必修科目でない取扱が出来る旨定められている。従前の同要領によれば、格技は必修科目とされていたわけであり、この改正には十分に留意すべきである。

申立人らは被申立人に対して、再三再四剣道実習拒否の理由を説明するとともに、剣道実習に代わる代替授業の実施を求めたが、被申立人は一顧だにしなかった。因みに、兵庫、大阪、奈良など近隣の多くの高校、高専では代替授業の履修により、進級、卒業を認めている。

又申立人らはいずれも剣道実習には参加しなかったものの、級友の行う剣道実習を見学していたのであるから、身体上の理由から実習に参加出来ず見学した人に準じて評価すべきであった。かような場合、見学の実績があれば、後日当該見学者にレポート提出を求め、少なくとも科目認定に差し支えのない何らかの評価を与えるのが通例である。

一部申立人らは、剣道実習見学の後自主的にレポートを作成し提出しようとしたが、受領さえも被申立人に拒否されている。その事実を知った他の申立人らは、レポート提出自体を断念せざるを得なかった。

(ハ)については、本件処分は当該学年の全授業科目の再履修を要求するものであり、体育以外、比較的優秀な成績で単位取得した科目まで再履修を課せられる無駄と余分な教育費の支出、時間の空費という著しい不利益、更に来春同一の理由で再度体育科目が欠点とされる蓋然性(申立人らの剣道実習拒否の理由が、信教上の確信に基づくものである以上、再度第一学年の過程を履修したとしても、再び留年する可能性は極めて大きいといわざるを得ない。)も高く、そうすると連続して二回原級に止まることは出来ないとの定めにより退学を余儀なくされるという著しい不利益を受けることが考えられる。

被申立人は、留年を前提として、六五点のうち五五点以上獲得するよう努力すればいいというが、それは配点のうち実に八五パーセント以上を獲得しなければならないことになる。因みに、平成二年度の電気工学科の第一学年成績によれば、八五点以上獲得した生徒はいないのである。被申立人の論によれば、自らの信教を貫徹できるのは、ずば抜けた運動能力の持ち主だけということになる。背理である。

又、武道を強要されることは申立人らの宗教信条に反し、著しい良心の仮借を受けることになる。

(ニ)については、剣道実習拒否によって他人の権利を侵害することは考えられない。

右検討の結果、申立人らの宗教的信条に反し、剣道実習を強要することは許されないと断ずるべきである。

(三) 裁量権について

裁量権も無制約的に行使しうるものではなく、あくまでも憲法を頂点とする法令の制約を受けるものであり、それが裁量権の限界を画することはいうまでもない。憲法等に違反することは許されないのである。

本件処分により、申立人らの受ける不利益について前述したが、右不利益は、単に学校内部の問題として処理すべき事項とはいい難く、一般市民法秩序と直接に関係を有するものというべきである。従って、本件処分の適否は、司法審査の対象になると解する。(東京地裁昭和六一年(行ウ)第九二号判決参照。行裁集三八巻一二号一七三一頁。)

又直接違反とはいえないとしても、裁量権の著しい逸脱、乱用は違法と評価される。

被申立人は申立人らに対し、後期終了直前まで、次年度には剣道実習を拒否せず履修するとの趣旨の決意書を提出しなければ、原級留置もさせず自主退学するよう要求していたが、このような学則にもないことを要求すること自体、本件処分が剣道実習拒否に対する懲罰的、差別的処分であることを端的に示しているといわなければならない。

信教の自由等基本的人権を侵害する懲罰的評価、処分は裁量権の著しい逸脱、乱用として違法といわなければならない。

(四) 右論述を総括すると、申立人らは、信教の自由に基づき剣道実習を拒否したことで何らの不利益を受けるいわれはないといわざるを得ない。不利益を受けない措置としては、申立人らの取得可能最高点である六五点を基準として、実獲得点数の割合をパーセントで算出し、同パーセントの数値をもって成績として評価すべきであろう。右方法にて、申立人らの受けるべき体育の評価を算出すると左記の通りとなり、いずれも不認定とされることの誤りであることが明白となる。

(被申立人の評価) (本来の評価)

申立人 岡本秋男 五〇点 七六点

同   小林太郎 四二点 六四点

同   留岡冬男 四六点 七〇点

同   米村春男 五二点 八〇点

同   石和夏男 四四点 六七点

(五) 申立人らはいずれも学業に対して真剣に取り組んでいる学生であり、それは成績通知表をみても明白である。

本件処分が正当化されるならば、申立人らは貴重な一年という年月を無為に過ごさなければならなくなるし、このままでは退学という事態も危惧される。

申立人ら及びその保護者らの物心両面にわたる苦悩は計り知れない。更に前述した申立人ら教育を受ける権利を想起するとき、より一層、何故に被申立人はかたくなな態度を取りうるのか疑問とせざるを得ず、又申立人らの信教の自由と被申立人の職責との間になんらかの真摯な調整策を模索したのかという点についての被申立人の対応の非柔軟性に納得がいかないのである。

四、効力の停止を求める範囲及び回復しがたい損害の存在

1、前項掲記の理由から申立人らは、本日御庁に本件処分の取消を求めるため本訴を提起したのであるが、本申立においては緊急を要するものとして、申立の趣旨記載の通り、本件処分の効力の停止を求めるものである。

2、右述べて来た通り、本件処分の瑕疵は明白にしてかつ重大といわざるを得ないが、そのままにして本案訴訟の結論を待っていたのでは、たとえ本訴で申立人らの主張が認められても、申立人らの受ける損失は計り知れないものとなってしまう可能性が大きい。すなわち早急に、申立の趣旨記載の判断がなされなければ、申立人らは、前述した「各科目について、年間欠課時数が年間授業総時数の三分の一をこえる科目のない者。」の規定により今度は、第二学年につき、留年させられる可能性が大きくなるものである。

多感にしてかつ吸収力に富む申立人らのこの一年間を奪い去ってしまうことに申立人ら及びその保護者の受ける経済的な不利益を併せ、一成人としての代理人も黙過出来ない思いがするのである。

そして、その原因は、宗教に対する非寛容と余りにも形式的な思考にあるといわざるを得ない。

3、本件の如き本訴も本申立も未だかって提起されたことがない。

それは、申立人らと立場を同じくする生徒、学生らに対して、その属する高校、高専が、理解を示し、剣道実習に代替授業を認めてきたからに他ならない。

これでこそ、宗教に対する寛容と、柔軟な思考といわざるを得ない。

何故に被申立人は、右対応を示さないのか。

余りにも形骸化した被申立人の本件処分に対する司法的救済は、執行停止によるほかはこれを受けえない実情にあることに十分留意され、勇断をもって本執行停止決定をされんことを強く希望する次第であります。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例